存在価値ってなんや。

2年以上前、こんなことを書いた。

何かしないと価値がないの?

「今の時代、女性はいろんな役割をもっている」とよく聞きます。
じゃない人もいるけど、妻だったり、母だったり、職業人だったり。

育児休業中は自分に価値がないように感じていました。
退職して開業したとき、収入が減った自分に価値がないように感じていました。

でも本当はそうじゃない。
生きてるだけでいいはず。

ある出会いで変わり始めた「自分の価値」に対する考え

生きているだけでは、価値なんてないのかも。

生きている状態だけでは、何の価値もないんじゃないかなと思った。

自然環境を破壊する要員が増えるだけだし。

死んだほうがマシとか、そういう話をしたいんじゃない。

生きているのは生きている。

ただそれだけ。

生きていることは、神様がいるならそういう何かに、地球とか社会とかの環境に、承認されているってことなんだと思う。

「あ、生きてるのね。はーい。」っていう感じで。

「必要なら支援しますね。」って感じで。

生きて存在していることで、わずかでも何かしら影響を与えているんだから、それが価値になるんじゃないかと私は思う。

影響を与えていることですでに価値があるんじゃないか。

「自分は何もしていないです」「自分は何もできていないです」という人もいるかもしれないけど、何かしらやってるし、できているはず。

私は看護師だった。

今、看護師として働いている人もいる。

今、看護師として働いている人は、世の中の人がよりよく死んで生きるために役に立っている。

  

看護師じゃない人もいる。

看護師じゃない人は、看護師として働きたい人の役に立っている。

看護師じゃない人がいなきゃ、看護師は看護師として働けないような気がする。

私は理解力が低くて、人が話したことをそのまま受け取れないことがある。

場の空気を読めないことが多い。

だから、よく、質問する。

話し合いが好きな人、自分の考えをはっきりさせたい人、質問するには勇気が出ない人の役に立っている。

 

質問しなくても話を聞いている。

実際、話を聞いていなくても、その場に私がいるから話ができる人もいるんじゃないかな。

(話は聞いているけど、理解できてなかったり、忘れていたりするだけ。だと思います)

役に立つ、立たない、それも個人の価値観で違うだろうけど、私はそんなふうにとらえるようになった。

結局言いたかったのは、生きているだけで価値があるっていうんじゃなくて、誰もが生きているだけで、何かをやっちゃってるんだから、何かの価値はあるんじゃないかなってことです。

何かをやっちゃってない人はいない気がする。

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