「生きづらさ」って最近よく聞きます。
私だけかな?
私が興味関心持ってるだけかな?
最近「生きづらさ」について、よく考えるんです。
そんなん知らんわって声が聞こえてきそうですが、もうちょっと読んでもらえると嬉しいです。
「生きづらさ」について考えたきっかけ
私が「生きづらさ」に興味を持ったのは、最近の話。
「枠」をポチっと押すと、「生きづらさ」を解消するために「生きづらい」という状況とその言葉について掘り下げてみることにしたという話のだいたいが現れます。
「ビジネスで成果を出すためには、プライベートでの問題解決が先」ということを、これまでにさんざん言われてきた背景がある。
私は、「私のプライベートでの問題はそんなに大したことがないし、私にはどうしようもないことで仕方がないです」と思ってのうのうと生きてきました。
あるとき、自分の日常を掘り下げてみたら、自分の中から出てきた言葉は「あの人が××だから私は〇〇できない」「イライラするけど仕方がない」だった。
人から「それよく言うよね」と指摘された。
「たけちゃん、また、同じことで悩んでる」と。
自分より他人の都合を優先させている状況に気づかされた。
ひとつずつ、少しずつ「自分を優先させる」ってのを意識して行動した。
問題にぶち当たって迷ったとき、いつも「人の課題を背負ってるね」ってフィードバックを受けるようになってた。
また、自分を優先させようと、がんばる。まだまだ!
本当にあの人は××なのか、〇〇できないってのも自分の思い込みじゃないのか、というところも含めて掘り下げた。
本人と話してみて、××かどうか探ってみたこともあった。
「進歩してないな!ジブン」って思ったけど、行動しないよりマシだと思うから。
いろんなことをしているうちに、生産性や効率は度外視で、何もしなくても自分にも存在価値があると思えた。
≫ある出会いで変わり始めた「自分の価値」に対する考え
自分の中に押し込めた「これが好き」「見て見て!」「Aさんって△△っぽい」「ちょっと教えてほしい」みたいな、後先考えない、場の空気も読まない、主観と直感だけで話す、ものわかりの悪い子どもみたい。
そういう、とりつくろわない自分でも受け入れてくれる場所を見つけたからだった。
多くの時間を「居心地のいい場所」で過ごしているうちに、なおさら「子どもみたいな欲求丸出しの自分のままだと、“世間一般の枠組み”に合わないな~合わせられないな~」と感じるようになった。
感情や欲求むき出しの自分でも生きやすいように、周囲の環境を整えていくことに決めた。
まずは仕事から。
私は依存体質の人が苦手なので、仕事は審査制にしました。
依存体質の人が苦手というより、私がお節介のせいでクライアントさんが成長進化しないのが嫌だと思ったことがあったので。
あと、私自身を便利で安いから頼むっていうのが、自分を大切にされてない感じがして嫌になった。
自分が自分を「便利で安いよ~、なんでもするよ~」って売り出してたのも、よくなかった。
「たけちゃんは、自分に何をしてくれるのかわかりづらい」ってよく言われてました。
「お願いしたいけど、何がお願いできるのかわからない」と。私のことをチェックしてくれた人にもよくなかった。
私も悩んでた。
「自分がその人にできるのかわからないな~」「どうやって表現したらいいのかな~」って。
半年くらい。
悩む。
- 私がしたいこと
- 私にできること
- 世間で求められてること
- 世間じゃなくて私のお客様に求められてること
- 私がいいなと思う人に求められてること
そもそも、私がしたいことって何?
私にできることって何?
得意だけどできることとしたくないこともあるし、続けられないこともあるし何か知らんけどやっちゃうこともある。
≫たけちゃんじゃなきゃ、と言われたい。
そういうことを考えてたら、自分の強み、個性、特性というふうに興味が横に広がっていった。
で。
コロナのせいか何なのかわからないけど、小学生の娘が登校を渋るようになった。
これって娘も「生きづらさ」を感じてるってことかな~、と思った。
知らんけど。
「生きづらさ」という言葉を見聞きしたときから、私は「なんかやりにくいよね~、過ごしにくいよね~」っていう感覚を「生きづらさ」と呼んじゃってた。
これ、「生きづらさ」って呼ぶのかな?
知らんけど「生きづらさ」って言葉、使ってるな~と思った。
だからまずは、私も娘もどうもなんとなく「生きづらさ」を抱えてそうなので、そこんとこ掘り下げてみようと思った。
「生きづらさ」について考えたいと思ったのは、そういうきっかけと経緯がありました。
長文ご覧いただき、ありがとうございます。
好き度判定になるんでしょうか、こういうの。
ここからは「生きづらさ」についての考察を書いていくことにします。
「生きづらさ」という言葉を調べてみた
言葉の定義とか始まりを調べてみた。
1981年、「主体的社会関係形成の障害と抑制」とされたのがはじまり。
参考:藤野友紀,2007,「支援」研究のはじまりにあたって (子ども発達臨床研究,2007,創刊号)
これまでは少数派であろう機能不全家族、非正規雇用や貧困、同性愛者などの少数派の問題として捉えられ論じられていたことが多いようです。
しかし、2019-2020冬のコロナ禍において、大多数の人が「生きづらさを」感じたんじゃないかと思う。
だから、「生きづらさ」ってのを解消したら、ラクになる人が多いんだろうな~という予測が立った。
でも、生きづらさの定義がなかなか見つからない!
(インターネットしか見てないからかもしれないけど)
「生きづらさとは何か」
私が納得できるようなものがネット上には見つからなかった。
そもそも「生きづらさ」って何なん?
自分で考えることにする。
私にとって、「生きづらさ」とは何だろう?
自分の使う言葉を定義してみる。
≫(これは以前、定義づけした記事)自分が使う言葉「家族」に、自分なりの定義をつけてみました
今回は、とにかくじっくり考えてみる。
生きづらさとは、適応できないしんどさのこと?
竹本ひろこ|2021.4.14
何に適応できないと思うのか?
「誰かの枠組み」
誰かの枠組みに適応できないのは?
「自分」
自分の何??
適応できないと、「生きづらさ」があるとどうなの?
「生きづらさ」があるとどうなの?
- 社会参加できない
- 社会参加しても面白くない
- 孤立する
- 誰にも辛さや苦しみを分かち合えないと思い、一人で思いを抱えてしまう
- 困っていても誰かの助けを求めないから、困り続ける
- うつ状態、神経症など健康不良になる
「生きづらさ」ってどんなときに感じる?
一旦自分で考えてみたのが、これ。
- 自分の役割、自分が参加する場などに、適応できなくてしんどい。
- 自分自身に理解共感を得られなくて悲しい、寂しい。
- 自分が大切にしているものに理解共感を得られなくて悲しい、寂しい。
- 自分の欲求が満たされずストレス状態が続いている。
LINEでもお友だちに聞いてみた。
たくさんのお返事ありがとうございました!
- 「しんどい」「できない」と言えないとき
- 罪悪感
- ストレスが多いとき
- 精神的に孤立しているとき
- 自分の選択が叶わないとき
- 子どもにとっては学校の存在もあるかも
- 母親になって「こうするべき」「こうしなくちゃ」という考えに支配されいたとき
- 周りの望む自分でなかったと感じたとき
- どんな人間になれば注目してもらえるのか、人の顔色をうかがっているとき
- 自分と周りとの世界が違うようで居心地が悪いとき
- 自分の「安全地帯」がないとき
- 自由がないとき
- 認めてもらえないとき
さらに、さわらぎ寛子先生の「アカデミー」特典のグループコンサルでも聞いてみた。
ほかの方はサービス設計やネット文章の相談をしている中で、「哲学かよ」な話題。ありがとうございました!
- しんどい(←「関西弁」「こっちでは使わない」と聞く)
- 重たい
- 人間関係において、理解が得られない
- コンプレックスを表現できない
- 狭いコミュニティ、学校、会社、地域で見えない圧力がある
- マイノリティで自分そのままが認められないことに対するモヤモヤ
- 他人の期待に応えているとき
- なんか違う、自分じゃない自分を演じている
- あの人の目が気になってやめられない
- 自分はここにいるべきじゃない、抜け出したい、自分にはふさわしくない、でもどこにいったらいいかわからない
- 青い鳥症候群?
- みんなが何の疑いもなく当たり前と思っていることに、違和感をもった
- みんなと違うのは、優越感のような、劣等感のような、そのいったりきたり
結局、私の考える「生きづらさ」とは
ぜーんぶまとめて、こう表現してみました。
生きづらさとは、社会生活でありのまま自分の本音・姿でいることにストレスを感じている状態。
竹本ひろこ|2021.4.20
ありがち?な「生きづらさの定義」になりました。
いろいろ考えが浮かんできたので、続けて掘り下げてみます
竹本ひろこ|コンテンツ組み立て人
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