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この定義づけの必要性は、さわらぎ寛子先生のアカデミーを受講して、わかってはいたんですが、忙しさにかまけて「再びやる」ってことがなかったんです……。
最近、いい機会があったので、最近私が個人的によく使う「家族」って言葉について定義づけしてみました。
考え方のフレームワークってのはいろいろあって、「具体と抽象」で広げたり、体系化させたり、ってのもあって。
私は『自分らしさを言葉にのせる売れ続けるネット文章講座』が手元にありp.112を参考にしてやってみました。
(アカデミーの講座内では、自分の仕事で使う言葉を掘り下げていたけど、こういうプライベートな感じの言葉を定義するのにも応用できるんやなぁと。)
前置きが長くなったけど、そろそろいってみよー
私にとって「家族」とは
私にとって、家族とは、成長促進コミュニティである。
以下、『ネット文章講座』本を参考に、自分なりにアレンジして考えてみました。
そもそも家族とは?
同じ家に住み、生活を共にする配偶者および血縁者とされる。
なぜ家族がだいじと思うのか?
私の生命活動・人生のよりどころであるため。
家族関係がいいとどんな感じなのか?
挑戦する勇気が持てる。失敗したり辛いことがあったりしても癒しが得られる。relax,refresh
別の言葉で定義すると?
運命命共同体、最重要コミュニティ、ファミリー、身内、身寄り、家庭、一家
(一般的過ぎた)
分解すると?
なかよし家族、ギスギス家族、中庸
(シングル、大家族とか既に一般化された分類も多いな)
「家族」について取り上げた背景
「家族」についてまとめると、こんな感じになりました。
家族は、良くも悪くも、あってもなくても、自己成長につなげることができるコミュニティである。
「家庭とは最小単位の社会です」みたいなことを小学校か中学校で習った気がするけど、その距離感って人によってバラバラなんじゃないかと思ってて。
この世に生れたときから家族・家庭がない人もたくさんいるって聞くし。
家族がいても音信不通だったり、毎日何時間も一緒に過ごしてても「心の距離」みたいのは遠い人だっているはずだし。
そういう考えもあって、私は改めて「家族」について定義づけしてみたいなと思った。
私は子ども時代の家族にコンプレックスとか葛藤があった。
家族や家庭から心の安寧は得られず、刺激を追い求める生活・人生になってしまっていたと振り返ります。
(仕事での評価を目指した病院看護師時代とか)
大人になって家庭を築いたときに、子ども時代のことを引っ張り出して、いい関係性を作りにくかった。
「家族ってもうどうにもならない、私はダメだから」と放り投げてしまうこともあった。
天プロに参加して、自分が成長・変化(・進化)することで、私にとっていちばん近い存在の家族も変わってきたように感じる。
家族を「跳び箱を飛ぶとき」に例えると、応援してくれる観客だったり、衝撃吸収のためのマットだったり、帰宅後のお風呂や布団のような存在でもある。と私は思う。
私にとって家族とは、*「贈与」「お礼」は考えずに、なにかをやりとりできる存在であり、自己および相互の成長促進コミュニティである。
*「贈与」と考えてしまうと「私ばっかりやってる」「何もしてくれない」となってしまってしんどかった。この贈与的観念を、家族からなくしていくと、私はラクになった。
*関係性が悪くなるイメージがないコミュニティは、私の中では「家族」ではない。
参考文献と受講したプログラム
- さわらぎ寛子,『自分らしさを言葉にのせる売れ続けるネット文章講座』,ぱる出版,2020
- 山田研太,2021,「やることを4分の1に減らした理由。期限を伸ばした理由。」<https://voicy.jp/channel/994/134713>(参照2021-3-8)
- 近内悠太『世界は贈与でできている』,NewsPicksパブリッシング,2020
- さわらぎ寛子「自分を売り出す文章構築アカデミー」2期+フォロー
- 山田研太「天才性をビジネスに落とし込むプログラム」「自分の天才性をビジネスに落とし込み、唯一無二のポジションをつつくるための天才系(アート型)ビジネスの世界にどっぷり浸かる短期留学プログラム」
通称:天プロ1期・2期
自分が使う言葉を定義づけしたことによって、ほかの誰かの言葉をもってくる必要がなくなり、「この前提で私は発信してます」と言えるようになります。
この取り組みは、自分の長期的な資産になっていくんじゃないかな。
自分がよく使う言葉の定義づけ、またやろう
(気が向いたら!)