私はこれまで、「些細なことに目くじら立てず、いつも平静でいられることがいい」と思っていました。
でも最近、「一旦、不平不満をぶちまけるのって大事なんだな」と思い直しました。
「ふだん優しくておとなしい人が、ある日突然大爆発」というのは、よくあるパターンかもしれません。
私は「大爆発」も経験済みですが、爆発すらしない別のパターンも体験しています。
今回はそれをお話ししたいです。
怒れなくなっちゃった。
私は、世の中の多数派が「嫌だ」と認知していると確認できることだけにしか「嫌だ」と言えません。
私だけだったり、私を含めた少数派だったりの異論は、嫌われてしまうと思うからです。
「うんちは臭い」は言えるけど、「○○スーパーのトイレは臭い」は言えない、みたいな感じです。
「人の悪口を言う人は嫌われる」と、小さい頃から言われてきました。
実際、私は「私の親の悪口を私に言う親戚」のことが嫌でした。
何がきっかけなのかはわかりませんが、私にとって「人の悪口を言うこと」は、「人から嫌われてしまうこと」、「自分の立場を脅かすこと」になっていました。
そうやって私は、「怒り」を封じ込めてしまい、その場ですぐには怒れなくなっていきました。
子どもにはすぐに怒れるのは不思議ですが。
次第に私は、こうも考えるようになっていました。
「怒っても現実は良くならない」
「くだらないことで怒っていたら時間がもったいない」
「たけちゃん、それ怒るところだよ」
人に怒れなくなった私は、「誰かに怒るようなエネルギーは私にはない」とも思っていました。
「『私が心地いいと感じること』、『私がやらなければならないと考えていること』、私はそこにエネルギーを注がなきゃいけないんだ!」
そう信じていました。
でも、だんだん変わってきました。
ちょっとした愚痴を言い合える友人ができました。
ある日、彼女との会話の中で、言われたのです。
「たけちゃん、それ怒るところだよ。」
私からすると、彼女はとにかく「怒れる人」でした。
彼女を交えて雑談していると、彼女は「抗議」「愚痴」「イジられている人よりも速いツッコミ」など、怒りのバリエーションが豊富な人だと感じました。
私は、自分を守るために「悪口」も「怒り」も封じ込めていました。
人から嫌われたくないし、自分の立場を脅かしたくない。
そう思っていた私でしたが、だんだん、「怒ったほうがいいのかも?」と思いはじめました。
自分の嫌な気持ちを抑えてしまうのは、自分にとって嫌なことを許すこと。
それは嫌なことの再発につながるんじゃないか。
自分で自分を大事にできていなかったんじゃないか。
私は、そういうことをあまり重要に感じていませんでした。
麻痺していたというか。
そんな私にピッタリのアイテムが、彼女から届きました。
それが『くろのーと。』です。
自分の中の黒い気持ちを吐き出す。
『くろのーと。』は、自分の目標や願望を書く「夢ノート」という類のものではありません。
思考を現実化するような、たいそうなノートでもありません。
制作者のえみりーが設定したテーマに沿って、ひたすら「嫌だ」「嫌い」を書いていくノートです。
実際のできごとも実名も書いてあるので、誰にも見せられません。
テーマがあるので、怒りに鈍い私にも書きやすい。
かといって、全ページを書き尽くすのは難しいです。
それでも書くと気持ちがスッキリすることがわかりました。
えみりーは、こんなことを話していました。
部屋をきれいにするとき、まず要らないものを捨てる。
気持ちも同じようなもので、きれいにするまえに要らないものを出さないと、いいものが入ってこないんじゃないかな。
心を部屋にたとえるなら、私は自分の心のゴミを見落としていたように思います。
これからは、小さな変なものも拾って、自分のことを理解してあげるつもりでいます。
体、お金、人づきあい。ノートなら問題なさそう。
嫌なことがあったとき、どうやって乗り越えていますか。
誰かに話す? ノートに書く?
運動、愛する人のハグ、ペット、推し?
お酒、スイーツ、ギャンブル、買い物?
いろいろある中で、ノートがいちばん健康的でハードルが低そうに思います。
ノートなら、24時間×365日、私の愚痴も怒りも受け止めてくれそう。
自分しか見ないものには、恥ずかしさも、炎上も心配ありません。
ノートにこっそり、ぶちまけてみるのはいかがでしょうか。
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竹本ひろこ|コンテンツ組み立て人
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