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マイ・スキーマ解明2(私の反応の仕組みとは?2)

Photo by hal

スキーマとは、「自分の反応の元になる価値観・思考」と私は理解しています。

価値観とか信念の深層にある思考が、反応を起こします。

「赤信号では止まらなきゃ危ない」というスキーマがあるから、赤信号ですぐに停まれるというイメージです。

このスキーマって、その場に適応して生きていくために形成されるものらしいです。

でも、まだいろんなことを知らない時期に形成したスキーマが、のちのちの生きづらさにつながってしまうことがあるみたいなんです。

それが「早期不適応スキーマ」などです。(など、とはいえ、ほかに何があるかないかも知りません)

前回の記事「いざ、マイ・スキーマ解明の旅へ」より

今回は前とは別の出来事を取り上げました。

その出来事を通して形成した、私の早期不適応スキーマに対しての仮説を書いています。

私自身への愛情と労いをこめて「マイ・スキーマ」と呼んでいます。

マイ・スキーマを感じた過去のできごと(2)

私が小学6年生のとき、担任の先生とクラスメイトの間でトラブルがありました。

今だったら、メディアに取り上げられるんじゃないかなと思うような出来事です。

 

どういう環境だったかを先に書きます。

私は地域の公立小学校に通っていましたが、担任の先生は中学受験レベルの授業をしていました。

社会の授業では、小学校の教科書にも書かれていない歴史上の人物(柿本人麻呂)が登場したり、英語の授業なんてないのに、黒板の端から端までAからZまでのアルファベットを小文字の筆記体で書き連ねて「写せ」と言ったりするような先生でした。40代男性。

その先生や先生の授業は、中学受験を控える子の保護者には評判がいいと聞いたことがあります。

スポーツの指導も上手で、スポーツチームが強かったから、児童にも保護者にも、「いい先生」と思われていたかもしれません。

そんな調子で、先生の授業には、ついていく子と、ついていけない子が出てきました。

私はというと、中学受験なんて考えていなかったのですが、昔から「授業では右手右耳で発表しないといけない」と信じ込んでいたため、先生の授業についていこうと努力していました。

「わからないことは自分で調べなさい」と言われていたので、毎日小学校に広辞苑という厚さ10cm以上ある国語辞典を持って通っていました。高校の参考書も買って勉強していました。

ここからトラブル、について話します。

クラスの中で、勉強についていけない内向的な女子二人が、先生の悪口を書いた手紙をやりとりしていることが発覚しました。

誰かが床に落ちているのを見つけて、先生にチクったようです。

先生は激昂しました。

 

「お前らのことも書いてあるぞ」

先生が言いました。

「お前ら」というのは、先生の授業についていっている中学受験を控えた児童です。

手紙には「〇〇と××がひいきされている」なども書かれていたようです。

 

先生はその女子二人に向かって「お前ら今日からお客さんじゃ!」と言い放ちました。

女子二人の席を教室のすみに追いやりました。

「おまえら授業は受けさせたるけど、発言すんな!」

ほかの児童には「あいつらとしゃべるなよ!」と指示しました。

そんな状況で授業も給食も掃除も行われました。

1〜2日後の授業中、先生は「こんなんで授業をやりたくない」と怒った顔で言い、職員室に戻りました。

 

困ったのが、中学受験を控えたクラスメイトです。

「みんなで先生に謝りに行こう」ということになり、「ひいきされてる」の何名かで「授業をしてください」と、職員室まで言いに行ったようでした。

私はその中に含まれていません。

そこから何かがあって、女子二人を「お客さん」扱いにするのは終わったのですが、私には、人生の中で強く印象に残った出来事としてとらえています。

私は私で困ったけど、「どうしたらいいか、わからなかった。」という思いがあります。

 

翌年には、私が通っていた公立中学校で女性教師が授業ボイコットをしたとして新聞に載って退職しました。

女性教師は、中学校の荒れたクラスでの授業が嫌だったので、ボイコットしたんです。

実際の状況とかやったこととかは、中学校の女性教師の何十倍も男性教師のほうが、ひどいことだと思います。

だから、「何が正しいのか?あの男性教師はOKなのか?」という疑問や不満が残っています。

スキーマ解明していく

2022年3月頃から、じっくり2年かけて学ぶ「トリセツ講座」を受講しています。

1年のお膳立てレッスンを経て、2023年2月頃、待望のスキーマ療法に突入しました。

また、私は2023年3月頃から「自己解放プログラム」に参加しました。

ここでは自分の人生を振り返ったりなどいろんなワークが準備されていて、今回のネタは、そこでのワークで見つけました。

私の人生の印象的な思い出を掘り起こしたとき、8割くらいはネガティブな感情を引き出す出来事だったことに、なんだか悲しくなりました。

記憶にも感情にも負荷が大きいです。

でも、私の今年のテーマは「痛みに向き合う」なので、やります。

いろんなワークをやって、ひとつ仮説を立てました。

私のスキーマの仮説②
  1. 「有能でいたいし、自由に感情表現したい、誰もに理解されたい」という欲求があったけど、現実、うまくいかかった。
  2. 「自分にはわからないからできない。ほかの人がわかっている。自分以外のほかの人が答えを知っている。ほかの人の考えならできるはずだ。」と考える。
  3. 何かトラブルが起きると、自分には解決できそうにないから、ほかの誰かに答えを求めてそれを採用して優先していく。自分が最もいいと判断した人とその人の考えについていき、その行動を支援する。
  4. でも、それが最適解でないとわかったとき、問題解決できなかったとき、絶望する。その人を責めるのではなく、「その人を選んだ自分が間違っていた」と自責して、自分はダメだと考える。

 私のスキーマ仮説①は前の記事で書きました。

自分の反応の仕組みを解いてみて気づいたことが2つあります。

気づいたこと2つ

気づき①スキーマを強化していたかも

世の中には正解のないことも、やっても成果が出ないことなんていくらでもあるはずです。

それなのに、問題解決できなかった、成果が出なかった、という結果になれば、原因などの分析をすることなく「自分が悪いんだ」とざっくりとらえてしまう癖が私にはあるようでした。

世の中には正解のないことも、やっても成果が出ないことも、いくらでもあるので、私は何かトラブルに直面するたびに、このスキーマを強化していたかもしれません。

そんなふうに思いました。

 

気づき②知識がないから太刀打ちできないのかも

小学6年生のクラスのトラブルで、「私は私で困ったけど、どうしたらいいか、わからなかった。」という思いがあるのですが、そのときに自分の感情表現ができていれば違ったんじゃないかなと振り返りました。

感情表現するためには、感情についていろいろ知ることが必要だな、と。

  • どんな感情も持ってもいい。(言動は周りに影響を与えることもあるから別問題)
  • セットになるような表情やその感情の名前は何か。(ギャーって叫んでも、自分が喜んでいるのか怒ってるのかほかの人にはわからないから、相手には不快感、自分には疎外感とか生まれそう)
  • 感情を受け止めてくれる場はどこか。
  • 自分のどんな感情でも受け入れてくれる存在があると感じられるか。
  • 自分の感情をどんなふうに表出したら解消されたり癒やされたりするのか。


当時の私は子どもで、感情についてよく知らなかったから、トラブルの事例がなかったから、わからなかったんだなと思いました。

(あと私自身には、アスペルガーぽいところも多分にもあるように思うので、余計に感情表現が苦手なのかなと思います。)

それで。

過去に私が勝手に傷ついて学習した仕組みとか癖は、今でも引き続きあらわれて、望まない現実を引き起こしてしまうことがよくあります。

スキーマのおかげで嬉しいこともあったし、生き延びてこられたんだとも思います。

これまで、怖かったり面倒だったり知らなかったりで分析していなかったぶん、自分のスキーマを解明していって、自分が満足できて周りの人や社会と繋がれる表現を学んでいきます。

スキーマの話、たぶん、まだ続きます。

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