2023年3月9日
高校の卒アルなんてとっくに捨てた。
高校は黒歴史に認定してるけど、どこからどこまでの私が黒なんだろうな。私にもわからないや。
昨日の夜、4月から中学3年になる息子に、勉強のこと、高校のこと、いろいろたずねられた。
これまでに話していなかった、私の祖父母・両親について、学生生活について、いろいろ話した。
話長くなるので、またどこかでできれば、語るなどする。
2023年3月12日[濁らせ独白]
また、なにか、よくないことが、起こるかもしれない。
なにかのトリガーがあると私はすぐにモードを変えて生きてきた。
ヤバい、おかしい、これは、また、なにか、よくないことが、起こる!!
私の黒歴史は、いつからかわからない。
わからないけど、
人から怒られたり、嫌われたり、
望んでないことを期待されたり、
こうあるべきと思っていたことが崩れたり、
自分の目に留まる人や「世間の多く」と比べるなどして自分の惨状に絶望したりすると、
そこでの事実がうやむやになるくらい、私の心は傷ついた。
傷ついても泣いたり、話したりしたら、
馬鹿にされたり
鬱陶しがられたり
怒られたり
たしなめられたり。
寄り添うていで理解共感を示されても
疑心暗鬼だった。
だって「また裏切られるのはもうたくさん」だったから、寄り添い型を信じるのは怖かった。
かと言って、先導する旗印の人も怖かった。
あなたの言う通りになれなくてごめんなさい。
期待に応えられなくてごめんなさい。
そう思っていたんだ。
弱い自分が、さらに傷つくのは、もう嫌。
実は。
ごめんなさい。
だから、相手にされなくても当然だったし、私も言いたいと思うことしか言わないし、相手を傷つけたくはないけど、自分の本心に対する正直さは大切にしたかった。
でも、自分の本心が長い間、わからなかった。
だけど、息子に話を聞いてもらったことで、自分の黒い黒い記憶が蘇ってきた。
そこでの事実がうやむやになるくらい、私の心は傷ついた。
3月8日の夜、息子には主観ベースで話した。
私には事実と客観と主観とをわけて把握なんてできなかった。
黒く黒く記憶が残っているだけだ。
いや、今も把握できてないか。
ずっと家が嫌いだった。
学校も嫌いだった。
友達はよくわからない。
楽しい子もいたし、好きな人もいた。
私は母が大嫌いだった。
でも本当は大好きだったから、「(いま私が感じている)この家(の悪いこと)」をどうにかしたかった。
母にお願いした。
「お母さんの味方になるから、頼むからお父さんと離婚して」
父と母はやっと、離婚した。
その後も、その後で、黒かった。
たくさん「裏切られてきた」のに、傷つかないふりをしたり、軽いノリで愛想笑いして自分を雑に扱ってきたりしたような気がする。
黒かったことだけは、黒色でくっきりと目立って、記憶にある。
母が白内障の手術を受ける。
たかが、白内障手術。
自宅と病院の往復のしんどさと入院代を比べてみて、母は入院する。
それでも、付き添いにいくつもりはなかった。
コロナだし、面会とかねえ…と思っていたし、娘の送迎があるし、仕事もあるし。
たかが白内障の手術だ。
LINE電話で済ませていた。
母も「来なくていいから」って言っていたから。
「行かへん」と言うのに、「来なくていい」とまた言う。
そのうち、私はおかしなことに気づき始めた。
母の話の内容、リアクション、声色、
だんだんおかしくなっていた。
ああ、いつものあれの前兆か。
私は、弟に確認した。
(弟は結婚して子どもと3人、そこに母の4人で、実家暮らしをしている。)
弟からも裏どりできた。
まあ、とにかく、いつもの異常事態なのだ。
なにかもっともっと大変なことが起こる前に、そばについていたい。
なにかよくないことが起こらないことを、そばで確認したい。
なにか大変なことが起こっても、最小限で抑えられるように、できる限りの対応をしたい。
手術日だけでも、それを母に発揮したい。
私が担う日々の役割では、力不足のことがかなりかなり多いけど、この日だけは、自分の持てる力を発揮できる気がしている。
病院からの突然の電話が、私は怖い。
竹本ひろこ|コンテンツ組み立て人
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