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では、西加奈子さんの「サラバ!」を読んで、どの部分でどう感じたかを、しるしておきます。
私は超感動したし、考えさせられた。
感動したってのは、こっちで少し書いたけど、私自身の人生に起因していて。
私は、私の生育環境が平凡なものではなかったと思ってるから、だから感動したんだと思ってます。
少なくとも息子を出産するまで、歩のように、自分目線でしか物事を見られていなかったから。
そのへんの、どうしようもない家族関係も、煮え切らない主人公の歩、歩自身がふわっと軽く扱えるようになったから。
歩に同調していた私も軽くなったんです。
(途中からは歩がウザくなってたけど、応援はしてた。)
前の記事で、断続的に涙ポロポロ……みたいに書いてますが、たぶん、泣き始めた箇所は多くの人と同じじゃないかな……。
姉からの手紙のシーンです。(第6章)
それはさておき。
良かったとところを取り上げていく。
扱われる材料に親近感
人間関係、宗教、アート、音楽、小説、ヨーガ……。
全て最近考えたり、自分が関係したことがあることなので、親近感がありました。
7歳の子に向かって「サンタはおらん!」と言っちゃう母。
閉じこもる姉。
「あんたは、大人になるずうっと前から、大人にならんとあかんかったもんな。」と言われて泣きそうになった歩。
全部、私の中に似た感情があって。
物語の多くの部分で、共感していました。
「〇〇〇〇〇」
矢田のおばちゃんが大事に持ってた辞書の1ページ。(第5章/セクション45)
墨で塗りつぶされなかった「5文字の言葉」。
あれは私にとっては家族だなって改めて、思って、感動して。
そうして、また、こうやってブログを書いています。
あなたにとっての「〇〇〇〇〇」は何ですか?
なんて。
答えなくてもいいから、よ~くよ~~~く考えてみてほしいと思いました。
やっぱり○だと、周りが見えてる気になってるだけで見えてないよね
「鬱(うつ)」になってると、背中が丸まって、うちに閉じこもって「みんなこう思ってる、嫌だ、怖い」みたいな感情がわくんです。
いわゆる思い込みなんですが、それに縛られていると、メタ認知というのがまるでできていなくて。
メタ認知ができないから「鬱」なのか?
みたいな問答になってきます。
思い込みに縛られて動けないときは、今まで閉ざしていた世間のニュースを知ったり、まったく知らないところに旅してみたり、これまでにしなかったことをしてみると、一気に視界が広がるなと。
私は体験的にそう思っています。
「サラバ!」はずっと歩目線で書かれているストーリーなので、事実は歩の知覚した解釈が入っているんです。
自分がした解釈の「本当のところはどうなんだろう?」ってのを探しに行く。
ラストで確認していく、これからも新しい解釈を発見していく旅が始まっていくのが清々しく、読後感最高でした。
私が参考にしたいところ
人を育てる側が参考になる
矢田のおばちゃんと、夏枝おばさん。
この二人は多くは語らない。
たくさん知ってて、感じてても、言わない。
見守ってる。
待ってる。
こういう姿勢を私も持ちたい。
人間性の極み
マウンティング0.0
— やまけん / 変人であれ (@yamaken_edu) December 13, 2020
→マウントされるしかない
マウンティング1.0
→やっとマウントできるようになった。それが気持ちいい。
マウンティング2.0
→マウントできるけどしない。強がらなくてもいい余裕がある。
マウンティング3.0
→マウントできるけどせず、相手にマウントされる。人間性の極み
ご神木時代の姉・貴子はマウンティング0.0
「〇〇〇〇〇」を自覚するまでの母・奈緒子はマウンティング1.0
「〇〇〇〇〇」を確認するまでの歩はマウンティング2.0
子どものいない夏枝おばさん。
夏枝おばさんは、マウンティング3.0でしかない。
多くを語らないことで、周囲の人間が後から、自分には敵わない存在だと気づく。
矢田のおばさんは、マウンティングから外れている存在に思えたけど、崇拝も誹謗中傷も全て受け入れているところからして、あえて言うなら3.0かな。
やはりこれも、多くを語らず、自分に対する賛否両論も在りとして受け入れ、ただただ自分が必要とされたときだけ支えるという、育てる側が大いに参考にしたいスタンスだと思いました。
まるであの人みたい……。
自分の人生を物語にする
歩がやろうとして、やっていることみたいで。
これは、素敵なことやなと。
西加奈子さんの人生も詰まってるんかなと思うと、もう何というか、「この熱さをありがとう!」と言いたい。
最後のほう、ちょっとクドい。(第6章)
生きる上で大事なことを何度も言い聞かされて、さとされているような気持ちにり、ついつい読み飛ばした。
ただ、西加奈子さんがインタビュー動画でも話している、
「これが普通だよ」「美しさはこれだよ」「正しさはこれだよ」と預けられているものを本当にそうなのかなって自分で決めたい
っていう既成概念を自分でとらえなおし、一旦バラバラにしてから組み立てて。
西さんの人生とか経験とか、これまでの知覚とか、思いとか全部を表現しようと。
そうしてるんじゃないかと。
そうして、できあがったのが「サラバ!」だと私は思っていて。
最後のクドさも、「西さんは本当にそう思ってはるんやな、熱いな、嬉しいな」と受け取っています。
(また読み返す。)
西さんと歩は「サラバ!」で、人生の物語を何周もして、また新しいところに向かうんだろうなっていう。
この壮大なお話の、壮大さにはかなわないけど、私は私だけの人生と経験、知覚と思いを持っているな、とも思った。
それをちょっとずつ、バラバラでもいいから、私が存在した証としておいておきたいなと思う。
結局、本を買いました。
図書館で借りたけど、手元に置いておきたくて、本を買いました。
(メルカリだけど)
文庫本じゃなくて、カスタムしやすいように、何度も読み返せるように単行本にしてみた。
今、学んで実践していることと繋がってると。
私はそう思ったから、手元において何度も読み返したくて。
こういう本に会えてめちゃくちゃ嬉しいです。
真紀さんありがとうございました。
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竹本ひろこ|コンテンツ組み立て人
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