過去の恋愛について聞かれたので振り返った。
相手がモラハラっぽくて、しんどくなって、別の人に助けを求めて離れたことがあったんよね。
話を聞いてくれていた人はこう言った。
「たけちゃんが、モラハラ気質の人を呼び寄せる感じなのは、わかるけどね」
ちょうどそのとき読んでいたスピ系自己啓発本に、「なんでも許すことが本当の愛じゃないよね、大切な自分を大切にされないことは許したらあかん」みたいに書かれていて、なるほどねって納得した。
私は自己否定感が強い。
私は人の話がよくわからないし、人の気持ちもわからないし、その場の空気とか察するとか全然苦手。
苦手なりに工夫したり努力はしているけど、勘違いすることが多い。
だから、相手の言うことが正解でそっちを優先させるべきだと信じていた。
相手のほうがきっとすごいし、すごいことになるから。そのほうが楽しいし。
努力して何かを達成したときは嬉しくて舞い上がる。
ときどき調子に乗る。自己肯定感高まる。
そんなこともあるけど、そうじゃないねんな、とも思った。
私は自分自身の存在を肯定したり否定したりするような、ドえら賢い存在なんかよ。
ちゃうやろ?って思った。
ただ生きてるだけで、わちゃわちゃしているだけで、ちっぽけな可愛らしくて邪悪な生き物なんちゃうんか。
多少やらかしてしまっても死なないってことは、生きてるってことは、すでに認められてるんだよな。
今のコミュニティーとか環境とかに、「またね」「死んだら悲しいから死なないでね」「死んでもいいけど生きてていいよ、どっちでもいいよ」とか。
私には神さまとか天使とか妖精とか見えないけど、そういう何かによって認められているのかもしれない。わからんけど……。
自己否定も自己肯定も「なんや、その気持ち?あんた何様なの?」って思った。
私の今の気分。
自分を大切にするっていうのは、具体的にどういう行動になるんだろう?
試行錯誤する。
元気なときは主体的に体験する。
私は自分の体も自分の気持ちも、自分の大切なものも大切にしながら、生きていこう。
うん、そうしよう。
モラハラクリエイト中止宣言という自己満にお付き合いくださり、ありがとうございます。
わりかし人のことは大切にできるほうだと自覚していたけど、自分のこと、自分と誰か、自分と何かの関係性はあまり大切にできていなかったかも。そこまで考えられていなかったかも。
竹本ひろこ|コンテンツ組み立て人
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