「過ぎる」を封じて丸儲け

最近読んだ「思考の整理学」にはこう書いてある。

免許皆伝は、ごく少数のかぎられた人にしかなされない。
師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心がけた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。
(中略)
それに比べると、いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。それが見えているだけに、学習者は、ただじっとして口さえ開けていれば、ほしいものを口へはこんでもらえるといった依存心を育てる。学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受け身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことになる。

2017年,筑摩書房,外山滋比古「思考の整理学」ワイド版 p.18より引用

簡単にまとめると、「学習者が積極的に学び自分で動き出すためには、教育者が教えすぎないことがだいじ。」ということ。

自分で気づいたほうが、忘れない。

すべてを教えてもらうより、必然的に「問い」を保持しておく期間が長くなるからだと思う。
分からない問題がほどけてきたときの快感が、より大きいんだと思う。

だから主体的に学んでいくことがだいじなんだろう。

自分で気づくような「問い」を与えられる人は強い。

学習者が「問い」を保持し続ける限り、その人のことを忘れない。
答えにもよるけど、答えが見つかっても忘れないことが多いんじゃないか。

私は「問い」を自分で見つけられるようになりたい。

主体的に、すべてのものごとから学べるようになりたい。
そうなったら、私の「生きてるだけで丸儲け状態」が爆上がりするんじゃないかと思うんです。

ある出会いで変わり始めた「自分の価値」に対する考え

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